本多上野介正純公を学ぶ市民の会
- 本多上野介正純公は、横手の地に配流され生涯を終えました。かつて正純公が城主を務め、街並みの基礎を築いた栃木県宇都宮市では「よみがえれ宇都宮城!市民の会」が結成され、宇都宮城の復元工事が行われるなど、正純公の功績を顕彰する活動が展開されております。
- 横手市においても、正純公にまつわる歴史を改めて検証し、正純公ゆかりの宇都宮市と交流を深めていくことを目的に、平成16年10月、「本多上野介正純公を学ぶ市民の会」が結成されました。この会では歴史に関する学習だけではなく、正純公に関連したまちづくりも視野に活動を広げようと考えております。
- 正純公が横手の地に来て400年、「本多上野介正純公を学ぶ市民の会」結成20周年を迎えました。正純公に興味があり、宇都宮市との交流やまちづくりにご参加したい方のご入会をお待ちしております。
横手市と本多上野介正純公

永禄8年(1565年)、三河の国に生まれた本多上野介正純は、父正信とともに徳川家康の側近の筆頭として敏腕を振るった。
家康没後、老中として秀忠に仕え、元和5年(1619年)、15万5千石の宇都宮城主となり、宇都宮城を改築し、現在の宇都宮の町割の基礎を築いた。元和8年10月、改易(江戸時代、士分以上に科した刑罰。武士の身分を剥奪し、領地・家屋敷などを没収する刑。)となった最上義俊の城を受け取るために、出羽国山形に出張中、出羽国由利に配流され、5万5千石に改易された。
しかし正純はこれを固辞し、寛永元年(1624年)4月、佐竹義宣に召し預けられ、出羽国横手に配流され1千石を与えられた。
その後、横手で暮らし同14年(1637年)2月29日、横手で没した。享年73歳であった。
明治41年7月、横手区裁判所、同検事局の職員の方々により、上野台に墓碑が建立されている。


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