平泉文化のルーツをめぐる旅(後三年合戦柵めぐりコース)

ページID1004488  更新日 2021年9月28日

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日本の歴史上重要な戦いとして位置づけられている“後三年の合戦”。

勝利した藤原清衡は、その後平泉に移り奥州藤原氏黄金文化の基礎を築きました。
このたび世界遺産に登録された「平泉文化」のルーツは、ここ横手にありました。

後三年合戦柵めぐりコース

イラスト:柵めぐり

後三年合戦金沢資料館

郷土の文人・戎谷南山の模写による『後三年合戦絵詞』や、県指定文化財の中世仏教にかかわる経塚の資料や大般若経など、郷土の歴史資料を展示しています。

写真:後三年の役金沢資料館

金沢柵跡(金沢公園)

金沢柵跡にある公園です。景正功名塚を中心に整備された公園で、園内には多くの由来のある史跡が点在しています。また、桜やつつじの名所で、四季を通じて風光明媚な公園として親しまれています。

写真:金沢公園

大鳥井柵跡

清原氏の本流である清原光頼とその子大鳥山太郎頼遠(よりとお)の居城として確実性の高い遺跡です。11世紀の柵を考える上でも非常に貴重で、国史跡である平泉の柳之御所遺跡に影響を与えたともいわれています。
 

写真:大鳥井柵跡

沼柵跡

清原家衡が源義家を敗った「沼の柵」と伝えられる場所で、現在は城址が雄物川町沼館の蔵光院境内にあります。蔵光院庭園池中にある古い井戸枠(方形)は沼柵当時のものといわれています。
 

写真:沼柵跡

首塚神社

延暦年間に坂上田村麻呂が東夷征討の際、首級1千を埋葬したといわれています。さらに後三年合戦時には源義家が敵見方の首級を埋葬して祠を建てたといいます。頭の病気や学力向上にご利益があるといわれています。
 

写真:首塚神社

地図

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