平泉文化のルーツをめぐる旅(納豆伝説コース)

ページID1004490  更新日 2021年9月28日

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「後三年の合戦」から生まれた「納豆伝説」を紹介します。

「金沢」説

後三年の合戦のとき、源義家が農民に煮大豆を差し出させたところ、農民たちは急ぎのために入れ物が間に合わず、俵に詰めて差し出しました。これが数日立つと、香りを放って糸を引くので、食べてみると意外においしかったため食用とし、農民たちもやがてこれを知って、自らも作って後世に伝えたといいます。

「大屋」説

後三年の合戦で源義家が沼柵に向かう途中、大屋地区のあたりで大雪にあり、足止めされました。義家は家来に体力をつけさせるため、近くの農民に大豆を煮させ、それを馬の背中に積んでいました。2、3日後、その煮豆を食べようとすると、馬の汗で煮豆を入れていた藁(わら)が熱をもって、大豆は糸を引いていました。義家は他に食べるものもなかったので、仕方なく大豆を食べてみると大変美味しく、家来たちもその大豆を食べたといいます。これが「大屋納豆」のはじまりといわれています。

「沼館」説

沼柵で源義家が清原家衡を攻めたとき、義家軍は寒さと飢えのため苦しい戦いを強いられていました。そのとき、馬の背中に積んでいた食糧用の豆が、雪の湿りと馬の体温で一夜にして糸を引くように腐ってしまいました。これを兵士が食してみたところ、体力がついて士気が盛り上がったといいます。
その名残を伝える発酵した大豆が納豆だといわれ、今も沼館八幡神社の宵宮祭り(9月の第2土曜日)に境内で売られています。

写真:納豆

さぁ、納豆伝説をめぐる旅に出かけよう!

イラスト:納豆伝説めぐり

後三年の役金沢資料館

写真:金沢資料館

郷土の文人・戎谷南山の模写による「後三年合戦絵詞」や、県指定文化財の中世仏教にかかわる経塚の資料や大般若経など、郷土の歴史資料を展示しています。

納豆発祥の碑

写真:納豆発祥の碑

金沢公園内(金沢柵跡)にあります。
後三年の合戦900年祭を記念して、地元の納豆メーカーのヤマダフーズさんが建立しました。

大屋沼

写真:大屋沼

横手市大屋寺内にある周囲4kmのため池。天正年問(約四百年前)に水不足解消のために大屋沼を造ったという記録が残されています。現在、大屋沼は楢沢沼と導水路で結ばれて農業用水として利用されていますが、最近まで「横手鯉」の養鯉場として有名でした。
毎年11月3日前後に沼の水を抜く「沼干し」が行われ、沼の底からは源義家が通ったとされる「東山道跡」がその姿を現します。

沼館八幡神社

写真:沼館八幡神社

沼館城三ノ郭の位置にあります。現在の雄物川町矢神の矢神八幡神社がはじまりとされ、戦国期に小野寺氏が勢力を広げ、稲庭城から沼館城に本拠を移したとき、その館神として分霊し建立されたといわれています。
毎年9月の第2土曜日・日曜日には祭典が行われ、宵宮では参道で納豆が売られます。日曜日には、弓槍・鉄砲を持った大人たちに子どもたちもまじっての大名行列や、五穀豊穣と悪魔退散の獅子舞が行われます。

沼柵跡

写真:沼柵

清原家衡が源義家を敗った「沼の柵」と伝えられる場所で、現在は城址が雄物川町沼館の蔵光院境内にあります。蔵光院庭園池中にある古い井戸枠(方形)は沼柵当時のものといわれています。
 

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