施設案内 出羽金沢城跡(横手)

ページID1005088  更新日 2026年8月21日

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写真:金沢柵遠景

概要

出羽金沢城跡は、横手市金沢地区に所在する室町・戦国時代の横手盆地では突出した規模をもつ山城で、令和8年2月に国の史跡に指定されました。また、出羽金沢城跡は江戸時代以来、後三年合戦の最終決戦地・金沢柵の有力な推定地と考えられており、古くから横手盆地の重要な拠点であったと推定されています。
出羽金沢城跡は、本丸地区、二の丸地区、西の丸地区、北の丸地区という複数の郭(くるわ)が並立する群郭式の城郭で、上空からみると孔雀が羽を広げた姿に似ていることから別名「孔城(こうじょう)」とも呼ばれます。
横手市教育委員会では、平成19年度から継続して発掘調査を行いました。調査の結果、金沢柵の遺構・遺物は見つかりませんでしたが、室町・戦国時代の遺構・遺物が多数確認されました。このような発掘調査の成果と文献調査の結果と照らし合わせると、室町時代には三戸南部氏の拠点の城、戦国時代にはこの周辺を治めた国人領主金沢氏の本拠の城であるとともに、稲庭(現在の湯沢市)を本拠にした戦国大名小野寺氏や、六郷(現在の美郷町)を本拠とした六郷氏勢力が争いを繰り広げた「境目の城」として機能したことがわかりました。
金沢柵の推定地として大切に継承されてきたことから、城跡の保存状況も良好であり、我が国における中世後半から近世初頭にかけての築城技術を知る上でも重要です。

所在地
秋田県横手市金沢地区
料金
無料
交通アクセス
JR横手駅からバス利用(羽後交通で大曲方面へ)

景正功名塚

写真:景正功名塚

後三年合戦に、わずか16歳で初陣ながら、その活躍ぶりが最も勇敢で他に勝れた功名を立てた鎌倉権五郎景政は、将軍・義家の命により敵の屍を集めて、この地に葬り、弔いのため、塚の上に杉を植えました。
それが900年の歴史を語る巨木となっていましたが、昭和33年火災に遭い、幹だけを残し、今なおその昔を物語っています。
金沢公園はこの功名塚を中心につくられたものです。

金沢八幡宮

出羽金沢城跡の二の丸地区にあり、後三年合戦終了後の寛治7年(1093)、源義家が藤原清衡に命じて、出羽鎮護のため石清水八幡宮の神霊を勧請して創建したと伝わり、慶長9年以来十数回に亘って修改築を施しています。後三年合戦に参戦し、金沢柵の攻防でも活躍した源義光(新羅三郎義光)の末裔である佐竹藩主の庇護を受けたことでも知られています。境内には宝物殿を兼ねた社務所や長床があります。

地図

このページに関するお問い合わせ

教育委員会教育総務部伝統文化課文化遺産係
〒013-8601 秋田県横手市条里一丁目1番64号(条里南庁舎)
電話:0182-32-2403 ファクス:0182-32-4034
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