第15回読書に関する作品コンクール審査結果

ページID1005942  更新日 2021年10月25日

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特選

各部門の特選作品をご紹介します

文章部門

読書感想文

「私たちが忘れないために」

横手明峰中学校 3年 白石 すみれ(しらいし すみれ)

 誰かが、「人間は忘れる生き物である」と言っていた。もちろん私も例外ではない。小学三年生まで通った雄物川北小学校の教室やグラウンド、六年間ソフトテニスに打ち込んだ体育館、その他にもたくさん…。どんなに見慣れていても、どんなに思い出が詰まっていても、時が経つにつれてその記憶は鮮明に思い浮かべられなくなってきている。
 しかし、教室やグラウンド、体育館はもう一度そこに行けば、その鮮明さをとりもどすことができる。では、思い浮かべる対象が戦争や原爆となればどうだろう。とてつもなく重い内容であるだけに、別次元のでき事のような気がしてくるのは、私だけだろうか。加えて、教室などと決定的に違う点が二つある。一つは、私が戦争や原爆を見たことがないことだ。私の持つ戦争や原爆の記憶というのは、たまに目にする白黒の写真や映像のみであるため、実際に見た教室などとでは、その記憶の鮮明さに差があることはあきらかである。もう一つは、戦争や原爆は二度と見ることがないようにするべきものであるため、これからも見ることがないだろうということだ。当然、久しぶりに自転車で小学校に行ってみようかな、というような軽い気持ちで見るわけにはいかない。しかし、こういったことが原因で、私を含める若い世代がこの先、すっかり戦争や原爆の記憶を失ってしまったらどうだろう。もともと鮮明でない記憶を、忘れる生き物である人間が覚えていられるだろうか。
 私のこの疑問に、証言者の小倉桂子さんと生徒の市川月穂さんが答えてくれているように思えた。「いちばん大切なものは想像力」と小倉さんは話したそうだ。真っ黒に焼けこげたお弁当を見て、想像をふくらませてみる。「なぜ、お弁当を楽しみにしていた子どもが死ななければならなかったのか」と考える。そうすることで、たとえ同じ経験はできなくても、同じ想いは分ちあえる、と。小倉さんの証言から絵を完成させた市川さんも証言の一つ一つを想像しながら描いたのだろう。はじめてみる黒い雨を不思議に思う幼い少女の姿や、自分がさし出した水を飲んで、人とは思えない叫び声をあげながら死んでいく人を目の前にした少女の罪の意識や恐怖。そして、なぜ素直で好奇心の強い、ごく普通の少女が、苦しまなければいけなかったのか。絵を完成させた後、市川さんは「自分と同じような人間がそこにいたことを実感できた。この感覚は、これからも私の中に生きつづけると思う」と話している。このことは、忘れる生き物である人間が戦争や原爆の記憶を失わないためには、想像力を働かせることが大切だ、と教えてくれているのではないか。
 そこで、私も試しに想像してみることにした。証言者の兒玉光雄さんは、校舎の下敷きになった後、必死になってはい出た。その後に肩に太い釘がささりながらも、ももに大きな梁がささった親友を助けようと手を貸してくれる人を探して駆けだす。まず、この二人の傷の痛みを想像してみた。肩やももに、とてつもない痛みがある。少し前にかかとの裏にささった画鋲でも十分に痛かったのに、その何倍も太く長いもので体を貫かれている。私は思わず肩とももを押さえた。その後兒玉さんは、校舎から五十メートルほど離れたプールに人影を見つけ、助けを求めに向かった。そこには、泥と血の色に染まったプールに浮かぶたくさんの死体や、破裂した水道管から吹き出す水に群がって争う人など、手を貸してくれる人など一人もいなかった。そのとき兒玉さんはどんな思いだっただろう。親友の命を救えず、変わり果てた人々や景色を目の当たりにして、目の前が真っ暗になるほどの絶望感に支配されたのだろうか。もしかしたら、生への執着が強まったかもしれない。最後に私は、兒玉さんの証言を元に描かれた「プールサイドの惨劇」を見た。
 一目見て、思わず涙があふれた。その絵に私が想像した言葉では表現できないほどの残酷な様子が、実際あったことなのだと強く訴えるような大きな力を感じたのだ。
 兒玉さんや画に描かれている人々は、なぜこの地獄に放り込まれなければいけなかったのだろう。どんなに考えてもその理由はみつけられるわけがなくて、さらに胸が締めつけられた。
 私は、言葉や絵のもつ大きな力を受けとり、想像力を働かせることで、白黒だった記憶が、もう一度雄物川北小学校の校舎を歩いているときのように、鮮明に色づいていくのを感じた。そして、その記憶の中にいる、確かに生きていた人々の想いを分ちあえたような気がした。これこそが、忘れる生き物である人間が戦争や原爆の記憶を失わないために、いつまでも繰り返していくべきことなのだと思う。私もこれからは、目にする絵や写真、映像や言葉がもつ大きな力をしっかりと受けとり、決してあの惨劇を忘れず頭に焼きつけるよう、想像力を働かせることの大切さを意識しながら生きていきたい

「平和のバトン 広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶」弓狩匤純/著
 〔くもん出版2019年ISBN978-4-7743-2777-8〕

作品選評

 特選作品に選ばれた横手明峰中学校白石すみれさんの作品は、読み取りの深さ、表現力の繊細さ、完成の豊かさを感じさせる秀逸な読書感想文でした。「平和のバトン 広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶」を読み、すみれさん自身、「言葉や絵のもつ大きな力を受け取り、想像力を働かせることで、白黒だった記憶が、鮮明に色づいていくのを感じた。」と述べています。言葉の繊細さは、原爆体験の証言者とその証言を取材し作品に表した高校生の思いや考えに真摯に向き合い、寄り添い、想像を巡らせて言った結果だと感じました。
 白黒の写真や映像のみでしか戦争や原爆について知りえなかったことが、肩に太い釘が刺さった痛みを我が事のように感じたり、泥と地の色に染まったプールの惨状を目の当たりにしたかのように捉えたりするなど、心で感じるだけでなく、感覚も働かせて想像することで、より鮮明な映像としての売りに刻むことができたのだと感じました。
 最後に、すみれさんは「絵や写真、映像や言葉がもつ大きな力をしっかりと受け取り、想像力を働かせることの大切さを意識しながら生きていきたい。」と述べています。戦争を風化させないためにも、世界の平和のためにも、この言葉は、すべての人間にとって大きな意味をもつ言葉だと感じました。


短文部門

「そうなんだ!」 ぼくの頭も図かんになる

横手北小学校 2年 今氏 遥仁(いまうじ はるひと)

作品選評

 遥仁さんの「そうなんだ!」という声とともに、ページを勢いよくめくる音も途切れなく聞こえてきそうです。隣の友達の「どれどれ」という声をきっかけに、図鑑を囲んで集まる博士のたまごたちの姿も浮かび上がってくるようです。
 図鑑ができあがるまでには、長い年月とたくさんの人々の努力が積み重なっています。真実と新しい発見を求める人々の冷めぬ熱意が、遥仁さんの「そうなんだ!」によって高く評価され、未来の博士へとバトンをつなげます。
 図鑑で捉えたことを「へえ」という知識で終わらせずに、「そうなんだ!」という実感を伴った知識に高めるために、遥仁さんの頭の中ではどのように学びが構築されたのでしょうか。そして、遥仁さんの頭はどのような図鑑に変身したのでしょうか。遥仁さんの読書を見守る大人たちの気持ちに共感しながら、本作品を鑑賞させていただきました。
 今後も第二巻、第三巻と頭の図鑑を増刷し、さまざまな場面で多くの人々に「そうなんだ!」と言わせる人になってほしいと期待しています。


絵画部門

絵:鬼の大将やっつけた!

鬼の大将やっつけた!

後藤 葵羽(ごとう あおば) 認定こども園上宮第一幼稚園

「ももたろう」文/長崎桃子 絵/林るい〔世界文化社〕

作品選評

 鬼の大きさ、力強さが紙いっぱいにダイナミックな線と色で描かれ、見る者の心を奪います。桃太郎・サル・犬・キジが力を合わせ、こんなに大きな鬼に立ち向かい、今こそ退治した場面です。大好きな場面への気持ちが伝わってきます。今にも「ウォー!」と悔しがる鬼の声が聞こえてきそうな表情も印象的です。お話の中にある勇気が伝わり、元気がでる素敵な作品です。

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