増田の内蔵豆知識

ページID1003586  更新日 2021年9月28日

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まちなみの保存と活用

佐藤三十郎家座敷蔵

写真:佐藤三十郎家座敷蔵

主屋の背面に建てられた土蔵を鞘となる上屋で覆ったものがこの地方では内蔵と呼ばれます。雪害から保護するために起こったともいわれ、東北地方を中心とした雪国全体に広く所在しているとされます。増田の内蔵が注目を集めるのは、通り沿いの狭い範囲に集中して立地し、現存していることにあります。

増田の土蔵基礎知識

内蔵・外蔵

イラスト:内蔵・外蔵

増田の土蔵はその立地形態から、大きく外蔵・内蔵の2種に分類されます。この区分についてはその家それぞれの言い伝えがあり、一定の定義はありません。そこで、土蔵の状況調査を行うにあたり、次のような基準を設けて分類しています。

タイプ 蔵種類 説明
Aタイプ 内蔵 正面玄関から裏玄関までがトオリで結ばれる。トオリは内蔵の横を通過し、内蔵の背部には風呂・便所などが設けられる。
Bタイプ 内蔵 記録上内蔵であったが、現在主屋が取り払われ、土蔵と上屋(鞘)のみ存在する。風呂・便所などの施設も移転している。
Cタイプ

外蔵

正面入口から蔵前までがトオリで結ばれる。土蔵の側面および背面には原則としてトオリがなく、風呂などの施設も設けられていない。
Dタイプ

外蔵

主屋の後ろに単体で立地する土蔵。

各タイプの代表例

写真:Aタイプ(旧石平金物店)
Aタイプ(旧石平金物店)
写真:Bタイプ (佐藤多三郎家:横手市指定文化財)
Bタイプ(佐藤多三郎家:横手市指定文化財)
写真:Cタイプ(佐藤又六家:国指定重要文化財)
Cタイプ(佐藤又六家:国指定重要文化財)
写真:Dタイプ(石直商店:登録有形文化財)
Dタイプ(石直商店:登録有形文化財)

土蔵の種類~構造での比較

増田の土蔵は構造で分類すると大きく2種類に分かれます。

床が板張りで、履物を脱いで内部に立ち入る土蔵

文庫蔵と座敷蔵に大別されます。このタイプの土蔵は、後に外蔵に改修されている場合もありますが、大半が内蔵となります。文庫蔵と座敷蔵の違いは次表のとおりですが、江戸時代には収納を目的とした土蔵(文庫蔵)であったものが、明治期になって生活様式の変化とともに蔵内に居住空間が求められるようになり、座敷間が誕生し、座敷蔵なったと考えられています。

文庫蔵

建築年代

江戸~明治
内部構造 全面板の間(1室構造)
経緯 財貨の蓄積
⇒保管庫の必要
⇒防火・防犯性能追求
誕生の背景
  1. 冠婚葬祭用の什器類、衣類
  2. 財貨を生み出した各種証文と経営資料
  3. 書画骨董などの重要品

 

座敷蔵
建築年代 明治~昭和
内部構造 1階奥の間に座敷間(床の間付の場合もあり)【2室構造】
経緯 商人の経営肥大化
⇒部屋の不足
⇒内蔵に座敷間を配置
誕生の背景
  1. 経営の安定
  2. 住込従業員など共同生活者の増加・
  3. 交流規模の拡大
  4. 当主および家族の私的空間の必要性

 

写真:文庫蔵
文庫蔵
写真:座敷蔵
座敷蔵

床が土間で履物を履いたまま内部に立ち入る土蔵

基本的にすべて外蔵になります。味噌蔵、米蔵のほか、いわゆる物置(資材蔵)として冬囲い資材のような日常的に使用することのない物品を収納するため使用されています。
このほか増田地区には、醸造蔵、塩蔵などがあります。

写真:米蔵
米蔵
写真:醸造蔵
醸造蔵

立地

上屋(鞘)に覆われ家の中に納まる。側面にトオリが設置され、蔵の背部にも風呂・トイレなどの施設がある。
用途・性格 什器類・布団・日用品など
床面 原則として板の間
技法装飾など 表面に黒漆喰、内部柱に漆を使用
現存土蔵 江戸後期~昭和初期

 

外蔵

立地 原則として外に単体で立地する。上屋に覆われる場合もあるが、側面にトオリがなく、背部に施設を持たない。
用途・性格 囲い資材など
床面 原則として土間
技法装飾など 粗壁もしくは白漆喰、内部は素木で塗装なし。モルタル壁なども存在。
現存土蔵 明治前期~昭和中期

 

内蔵の外部との隔絶によって今日まで伝承

明治のはじめの一時期、この増田は “蛍町”と呼ばれた時期がありました。「蛍町」と呼ばれた由縁の一端には、短冊形の商家の主屋の最後方に立地する内蔵を指したという説もあり、真偽はともかくも当時の増田の繁栄ぶりを示すものとなっています。
同時に外部の人間から閉ざされた内蔵という不思議な空間は、見るものの想像をさまざまにかき立ててきたのかもしれません。

増田の内蔵の特徴:蔵の中に座敷があるということ

旧石田理吉家座敷蔵

写真:旧石田理吉家座敷蔵

増田の内蔵は、内部に床の間を配した座敷間を有する「座敷蔵」が最も多く、これまでの調査から内蔵全体のおよそ65%を占めることがわかっています。そもそも内蔵が建てられた始まりは、物品を収納するための「文庫蔵」がほとんどだったと推定されますが、増田地区では明治に入ってから、座敷蔵の数が格段に増加し、文庫蔵を座敷蔵に改装した例も多くあります。こうした座敷蔵は、1階の入口を入ると手前に板の間、奥に座敷間を配する2室構成となり、2階は板の間の1部屋構成で、什器類を収納する文庫蔵としての機能を持っています。 なお、呼称については居住している方々は、単に「クラ」或いは「ウチグラ」と呼んでおり、確定した名称はありません。ただし、寺社や醸造所などについては、代々座敷蔵であっても「文庫蔵」として呼び伝えている例が見られます。

座敷蔵の用途

他の土蔵との違いは、そこに生活空間を持つという点であり、用途は多様ですが、多くはその家の当主或いは特定の家族の居室として利用され、冠婚葬祭に利用された例も見られます。こうしたこともあり、内蔵は日常的に不特定多数の人間が立ち入る空間ではなく、家族以外の立ち入りは制限されていました。
このため、外から見えない内蔵は、長い間、家長およびその子弟限定の施設として、所在について隣家に知られない場合もあったという、極めて特殊な施設として現在に伝えられてきたのです。しかし逆に、このことが家族にとって特別な空間として、多くの内蔵が今日まで伝えられてくる要因となったのかもしれません。
内蔵を所有するその多くは商家となっています。地区の古老は、「明治の戦前期までは家族のほか従業員も含め、20人前後の人が1軒の家で暮らしており、当時、中町・七日町では昼間人口が1,000人を超えていた」と証言します。
商店という不特定多数の人間が常に入り交じる状況で、家族や従業員以外の者も多く住まう家の中、内蔵だけが唯一当主や家族のためだけに存在する、世間から隔絶された空間であったのかもしれません。

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