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金沢柵跡(推定地)(横手)

金沢柵跡の概要

金沢柵遠景
 金沢柵は、後三年の役(合戦)において、清原家衡、武衡が沼の柵から移って籠城し、清原清衡と源義家の連合軍がこれを包囲して兵糧攻めにし、陥落させたとされる古城址です。
 後三年合戦絵詞によれば、金沢柵は四周が断崖絶壁の岩山で天然の要害をなし、数多くの塹壕をつくり堅固な柵と書かれています。今は、桜やつつじの名所で、四季を通し風光明媚な金沢公園として親しまれています。
 ただし、現在のところ金沢公園周辺のどこに金沢柵があったかの正確な位置は、考古学的には特定されていません。一般には、尾根にあり本丸跡、二の丸跡、北の丸跡、西の丸跡、武者走、堀などの伝承がある金沢八幡宮周辺と言われていますが、ここからは11世紀の遺物は発見されていません。
 2010年の発掘調査で羽州街道を挟んで向かい合う小さな丘陵の陣館遺跡から、後三年合戦当時の11世紀の遺物が出土したことから、より低い位置に柵があった可能性もあります。

金沢柵跡の基本情報

 
休館日  -
場所 秋田県横手市金沢地区
交通 JR横手駅からバス利用(羽後交通で大曲方面へ) 
料金 無料
問合せ先 横手市教育委員会文化財保護課
電話番号 0182-32-2403
URL  
備考  

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景正功名塚

景政功名塚
 後三年の役に、わずか16歳で初陣ながら、その活躍ぶりが最も勇敢で他に勝れた功名を立てた鎌倉権五郎景政は、将軍・義家の命により敵の屍を集めて、この地に葬り、弔いのため、塚の上に杉を植えました。
 それが900年の歴史を語る巨木となっていましたが、昭和33年火災に遭い、幹だけを残し、今なおその昔を物語っています。
 金沢公園はこの功名塚を中心につくられたものです

金沢八幡宮

 後三年の役終了後の寛治7年(西暦1093年)、源義家が藤原清衡に命じて出羽鎮護のため、石清水八幡宮の神霊を勧請して創建したもので弥陀八幡として誉田別命を祀っています。
 新羅三郎義光の末裔である佐竹藩主の尊崇特に篤く、慶長9年以来十数回に亘って修改築を施しています。本殿内の内陣は創建以来のもので、幾多の社宝と共に貴重な文化財です。社前には宝物殿を兼ねた社務所や長床があり、日本一の神馬の銅像等があります。
 現在の社殿は、金沢城の二の丸址にあります。

地図

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このページに関するお問い合わせ先

商工観光部観光おもてなし課(観光企画係)
所在地:〒013-0036 秋田県横手市駅前町1番10号   
電話番号:0182-32-2118 ファックス:0182-36-0088
メールアドレス:kanko@city.yokote.lg.jp

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