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石坂洋次郎没後30年事業

 大正から昭和初期にかけて横手で教壇に立った石坂洋次郎が教師時代に書いた「若い人」、また、戦後まもないころに執筆した「青い山脈」は映画化され大ヒット、さらに横手を舞台にした「山と川のある町」は、今の市民の誇りとなっています。
 本事業は、石坂洋次郎の魅力を再認識する機会ととらえております。

『石坂文学に想いを寄せる作品コンクール』 入賞作品決定!!


                                       【読書感想文部門:特選】

                        変わり続ける時代の中で
                         (「青い山脈」を読んで)
 
                      横手南中3年 伊藤    空 さん


 「ゲーテいわく、新しき真理に対して最も有害なものは、古き誤りである。」
 この言葉こそ、作者の石坂洋次郎さんが物語に込めたメッセージを象徴していると思いました。
 物語の中で言う「新しき真理」とは、端的に言えば恋愛を肯定する考えであり、「古き誤り」とは、男女の交際を汚らわしいととらえる考えです。恋愛結婚や学生同士の交際が自由な現代と比べれば、恋愛に対する価値観があまりにも異なっていて驚きました。この作品が書かれたのは、正にその価値観が変わる境目であり、敗戦による民主化が背景にあるようです。
 この作品は、作者が実際に勤めていた学校が舞台になっていて、ある日の出来事から物語が始まります。それは、主人公の新子が男子学生と一緒にいたという噂を聞いた浅子やその仲間が、偽のラブレターを送るという事件でした。浅子は教師の雪子先生に相談しました。雪子先生は生徒たちを教育しようと努めますが、反発した浅子たちによってやがて大問題に発展するという展開です。
 私は浅子の卑怯なやり方に嫌悪感を抱きました。泣くことで自分を有利な立場にする。これがかつての日本人女性の象徴だったそうです。反対に、新子や雪子先生は明るく楽観的な性格で、私は特に新子の性格にひかれました。新子は極端に負けず嫌いです。自分が不利な状況下でも、「誤解は誤解した方が解くべきであり、自分からわざわざ卑しい考え方の仲間入りをする必要はない。」とおし通します。
 私は新子のあまりにも強く、大胆な姿勢に共感とあこがれを持つようになりました。また、自分の利欲を正当化して新子を陥れた浅子と違い、自分の意志に責任をもち、しかも言動に表している新子に感心させられました。そういった新子の芯の強さ、正義感が文章からひしひしと伝わってくると、ふと今の自分自身と比較してしまいます。
 今の私はどちらかというと浅子に近い部分が多い気がします。間違いを正当化し、勝手に相手を悪者にしてしまうことがあります。つい先日も、明らかに自分が失敗したことに対して「○○がこうしたからこうなった」、「私はなにも悪くない」と正当化し、声には出さなかったものの、浅子と同じような行為をしていたことを思い出しました。だからこそ、私は新子の天真爛漫な部分に魅力を感じるのだと思います。
 物語の中で、雪子先生が女性の在り方について訴える場面が何度かあります。浅子のような、「思ったことも言えず、すぐ泣きたがる」女性の習性を否定し、明るくて強い女性像を雪子先生は望んでいます。私も同感です。どんなに長く続いてきた慣習や価値観でも、ゲーテの言葉通り、有害となる古き誤りとなることなることがあります。
 また、登場人物の富永は次のように言っています。「人間性をゆがめたり、否定したりした生活の地盤には、どんな人道主義的な思想を移植しても、ほんとに根を生やし、育っていくことはできない。」と。
 心に残る言葉でした。確かに根本的な所が間違っていたら、どんなに上辺を飾ったところで本物にはならないと思います。これは現代社会にも言えることだし、規模は違うものの、私の中学校生活にも当てはまります。更に広げて考えれば、個人一人一人にも言えることかも知れません。人間関係での中で、本心とは違う表情を浮かべたり、言葉を発してしまうことが私にもあります。本心と言動が一致した、矛盾のない人間性。それを実現しているのが新子であるように思えてきました。
 物語全体を通し、かつての日本には価値観や社会が大きく変わる境目で悩み、苦しんでいた人がいたことを知りました。しかし「価値観や社会の変化」と考えれば、ちょうど現代もまた、それにあたるのではないでしょうか。年々加速化していく情報化社会や少子高齢化社会。その他にも様々な状況が大きく変動し、それに伴って価値観も変化しています。その境目に、今の私たちは生きています。
 浅子のように古い価値観にしがみついていたのでは、現代社会では通用しません。私は新子のように、自分が正しいと信じることを、臆することなく言動に表していける人間でありたいと思います。そのためにもまずは、地盤となる自分の人間性にもっともっと磨きをかけていきたいです。私の発する言動や行動の一つ一つに矛盾がないように。私の「自分らしい生き方」がこれからの新しい社会でも通用する人間であるために。
 「青い山脈」が私に与えてくれた大切な課題を忘れず、変わり続ける時代や価値観の中を逞しく生きていきたいと思います。石坂洋次郎さんのこの作品に出会えて本当に良かったです。

                            
                             【エッセー部門:特選】

                         青春の書『山と川のある町』
                      ~わが人生を方向付けた小説~
 
                            湯沢市  簗瀬  均  さん

 
  昭和五十年、横手盆地にうっすらと初雪が舞い散る頃、新潮文庫の『山と川のある町』を読んだ。横手で教鞭を執った石坂洋次郎が作者だったからだ。昔、著名な作家が近くにいたことに興味がわき、読んでみようとぼんやり思った。これまで、まともに読書などしたことがない高校二年生の私が生まれて初めて読む小説だった。
  『山と川のある町』は、石坂が過ごした昭和初期ののどかな横手を背景に、女学校で教え子達と伸びやかにふれあう教師が描かれていた。のんびりと牧歌的で、ロマンチックな世界だった。それでいて、どこか哀愁があった。私は石坂らしき主人公のように、教師をしながら小説を書く生き方に憧れた。
  翌年、石坂の文学碑が横手公園に建立された。それに伴い横手城南高校で石坂本人の講演会があった。平日だったが、私は高校を抜け出し、同校体育館へ潜り込んだ。女生徒達の後方に、目立たないようにして座った。
  石坂は、白髪の上品な老紳士であった。足が弱っていたのか、演壇で転ばれたのを記憶している。石坂は、横手で過ごした13年間の体験によって小説家として自立したことや、学園生活を扱った作品の多くが、横手から題材を得ていることなどを語った。また上京してから横手と疎遠になったのは、横手時代の私生活に自信がなかったからだと述べた。石坂の生の声を聞き、その誠実な人柄と横手における光と影を垣間見た気がした。
  私が石坂の母校慶應義塾大学を苦学して卒業したのは、二十五歳の時だった。卒業論文は、「石坂洋次郎と横手」。偶然にも卒論に関わった教員が、横手と縁のある方だった。折口信夫を師事し民俗学にも造詣深い国文学者西村亨教授。
  教授は言った。「祖母が横手出身の縁で、僕は横手に疎開していたんです。その時、父が増田の吉野鉱山で働いていました・・・」。教授は、私の卒論から横手で過ごした少年時代を懐かしく思い出したようだった。
  石坂文学に憧れ、教師を志してから十三年目の平成元年。三十歳でようやく小学教員になった。教育現場は石坂の時代と異なり、多忙で、私は小説が書けなかった。拙いエッセーが初めて活字になったのが、慶應の機関誌だった。それから西村教授が疎開中に読んでいた秋田魁新報に、ときおり拙稿が掲載された。同紙に連載を三度書かせてもらったが、応援し支えてくれた方々のお蔭である。
  そうこうしているうちに定年退職まで間近となった。教師も物書きも半人前のままだ。だが、これまで石坂文学に出てきそうな純朴な子供達とふれあうことができた。このささやかな幸せは、石坂文学に出会い、教師になれたお蔭である。
  ところで私は、平鹿町上吉田の深間内神楽で知られる集落で生まれた。そこは石坂が過ごした横手に近い。同集落から出た遠縁の女教師は、石坂と横手高女(横手城南高校)で同職した。石坂の出世作『若い人』のモデルになった女生徒の家に下宿していたという。生前、その女教師は語った。「石坂先生が横手高女から横手中学に転勤されたのは、小説を書く先生が女学校には合わない、と思われたから」。真実は分からないが、当時小説家を志していた石坂にとって、世間の目は必ずしも寛容でなかったのかもしれない。
  石坂文学には、ユーモアとペーソスが同居している。ユーモアは、豪雪に耐え、たくましく生きる横手の人々の明るさや実直さ、勤勉さから来ているように思われた。ペーソスは、石坂を生み、育んだ津軽の風土が影響しているのではないか、とこれまで考えていた。ところが横手もまた石坂にとって、実り多い土地であると共に、私生活にペーソスを漂わせた第二の故郷だったのだろうか。
  四十年前、『山と川のある町』を読んだ私は、石坂の苦悩をつゆ知らず、その優美な世界に魅せられて、教師と作家を夢みた。はたして、これでよかったのか。答えは言うまでもなく、「救われた」という思いである。作家にはなれなかったが、教師という職業は自分に合っていた。天職である。そしてのどかな山村の小学校でふれあった子供たちのことが忘れられない。その思い出は生涯の財産だ。今あらためて思う。石坂洋次郎が横手を描いた『山と川のある町』は、私の人生を方向付けたかけがえのない青春の書である。この小説なくして、現在の私はありえない。この上なくありがたい小説である。


                              
                            【挿絵部門:特選】

                            後ろ姿と残る寂しさ
                         (「青い山脈」を読んで)

                ~新子が、中傷の手紙について担任の先生に相談に
                    行った後、涙ぐみながら帰る場面~

 
                      山内中1年 髙階 夏菜 さん
 【挿絵部門:特選】
                        
                        
                          【入選】


◇読書感想文部門      「知性の人 伊能は敗北者か
                                -「何処へ」の再評のためにー」
                                  湯沢市  高橋  瑞生 さん

◇読書感想文部門      change
                               (「青い山脈」を読んで)
                                  横手高1年  杉  拓哉 さん

◇エッセー部門           暑い夏の日
                                  湯沢市  寺門  敏子 さん

◇エッセー部門           僕の尊敬する人
                                 ~石坂洋次郎先生~
                                  横手北中3年  大森  龍斗 さん

◇挿絵部門                六助と新子の各仕事
                                   (「青い山脈」を読んで)
                                  山内中1年  佐藤  蒼太 さん

石坂文学に想いを寄せる作品コンクール

「石坂文学」の素晴らしさをより多くの皆さんに感じていただき、石坂洋次郎と横手市との深いつながりを広く発信するため、コンクールを実施します。

◆募集作品:読書感想文・エッセー・挿絵の3部門
◆応募締切:8月31日(水)
◆応募先:横手図書館
◆応募規定:読書感想文・エッセーは、原稿用紙3~5枚程度。挿絵のサイズは、八ツ切りサイズ(271×382ミリ)以内
◆発表等:審査後の入賞作品は、作品集やホームページへ掲載し、横手市全体のPR,図書館事業等の広報活動に使用させていただきます。
◆問い合わせ:横手図書館 電話 0182-32-2662



内容変更にも関わらず、たくさんの皆様のご来場ありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

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