後三年合戦のあらまし

 「後三年合戦」は、奥羽二州で勢力を誇った清原氏の内紛に、源義家が介入して起こった歴史上に名高い合戦です。
 領土の配分をめぐって、家衡、清衡の異母兄弟が争い、妻子を弟家衡に殺された清衡は、源義家に助けを求めました。こうして、「後三年合戦」と呼ばれる戦いが幕を開けました。
 沼柵にたてこもり、義家軍を退けた家衡は、叔父である武衡のすすめで、難攻不落といわれる金沢柵に移りましたが、義家軍の執拗な攻撃や兵糧攻めにあい、金沢柵は落ち、家衡は捕えられ合戦は終わりました。奥羽の長い戦乱の時代は清原氏の滅亡とともにひとまず幕を閉じます。
 源義家が京都に帰り、この地方を手にした清衡は、姓を「清原」から「藤原」へ改め、以後、100年にわたる平泉黄金文化のいしづえを築いていったのです。

 

 

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