 | 

■開館時間 午前9時〜午後4時半 ※かまくら期館中 (午前9時〜午後9時)
■休館日 12月〜3月 (但し、雪祭り期間中を除く)
■入館料 4館共通入場券100円 (ふれあいセンターかまくら館・後三年の役金沢資料館・石坂洋次郎文学記念館)の3施設を含む4館すべてが100円でご覧いただけます。 ※発行日当日限り有効
■所在地 秋田県横手市城山町 |
|  |
| 横手城跡は、現在横手公園として、二の丸跡に三層の天守閣様式の展望台が立ち、内部は郷土資料館となっています。
ここからは、横手盆地が一望のもとに眺められ、とくに秋田富士・鳥海山の姿はすばらしく、米を治めたものが天下を治めた県南武将の血みどろの抗争の地の観を深くします。
城址南東の一角に“宇都宮釣天井”で知られる本多上野介正純の墓碑があり、北側には平和観音像、さらにバラ園などがあり、名城の名残を引きつがせています。
横手城は、その昔朝倉城といい、小野寺氏の居城でした。
朝倉山を包むように横手川が流れ、背後は山また山と奥羽山脈につづく独立した一箇の要害なので、天文23年(1554)頃、小野寺輝道によって築かれました。
城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし土くずれを防ぐ土止めと、敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったので韮城の名があり、あとで俗に横手城といわれるようになりました。
城主小野寺義道は関ヶ原の合戦後、徳川氏に石田方とみられ、慶長6年(1601)、所領没収石見国へ流されました。
翌7年、水戸から秋田へ左遷された佐竹義宣は、久保田城を本城として築き、朝倉城を支城として築城替えをし城代(伊達氏)をおきました。
朝倉城下に家臣を配置するために屋敷町を割り、町内をつくり攻守に備え、横手川を外濠としました。
慶応4年(1868)戊辰の役には、仙台庄内の軍勢が朝倉城に迫り防戦しましたが、砲火によって城は炎上し、明治元年8月11日の夕暮、ついに本丸、二の丸とも落城し、城士21名は壮烈な討死をとげました。
■秋田神社 本丸址に祀られている秋田神社は、明治12年(1879)に社殿を建立し、藩祖、義宣公を祀る千秋公園の秋田神社から12月2日遷宮、内町(屋敷町)の鎮守として祀ったものです。
■本多上野介正純墓碑 徳川幕府創業の権臣だった本多上野介正純、出羽守正勝父子は、秀忠暗殺の企てがあると陥れられ佐竹氏へ御預りになりました。 佐竹氏は父子を横手城代須田美濃守盛秀に預け、上野介父子は横手城三の丸の居館で悲嘆の生活を送りました。 正勝は寛永7年(1630)37歳で、正純は寛永14年(1637)73歳で病没。居館の近くの山裾に一基の墓碑が建っています。 父子にちなみ上野台(現城南町)の地名がつけられています。
■平和観音 公園城址の北、観音台の丘陵に横手市遺族会、市社会福祉協議会、公園審議会、市仏教会、それに一般市民の協力によって戦没者の慰霊と平和の祈りをこめて、平和観音像を建立。 総工費360万円。 観音像は、花崗岩、岡崎市の石田観仙氏の作、蓮座とも4.78m、自然岩の台座2.37mで、昭和40年6月30日起工、11月15日完成。公園の一名所となっています。
■滝ノ沢霊場 滝の沢は、その昔、桜の名所として知られそこにある滝は相当古くからあり、真夏でも肌寒さを覚え、三十三観音が祀られています。 また、古くは佐竹義宣公の側室であった岩瀬御台様が不縁となり、横手の須田美濃守に預けられたときから、この地に茶室を建て、塩釜桜を愛でられました。御台は横手で30余年の淋しい歳月の慰めとした伝えられています。 この桜と滝の名所を復元しようと昭和10年町の有志が滝の辺りに大慈大悲の三十三観音を建立しました。薬師如来及び大滝不動明王も奉造され、平成2年にも市有志により補修を経て、いまなお苔むす巌に安置されており、。 |